伊那谷ふぃーる

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Cafeたねのキヲク-後編-

誰かとCafe たねの話になれば、訪れたことのある人は決まって、「いいお店だよね」「おいしいよね」「ご夫婦がいいよね」「雰囲気が好き」と褒める。Cafe たねが伊那谷で紡いだ物語。まちの人に愛された、Cafeたねの記憶の記録。

 

「私、やっぱりカフェをやりたい!」
敏江さんの想いを地域の人が紡いでいく
 

自分の世界が広がり、どんどん暮らしが楽しくなっていった敏江さん。人とのつながりが増えていくなか、「いつか、カフェをやりたい」と、考えるようになっていた。
 

敏江さん
“その頃、「きっと」を通して知り合った雑貨店の方に「きっとカフェ」をやってほしいと頼まれて。それが、今のCafe たねの原点になりました。同じ頃に、陶芸家のこいけちえさんの工房でも依頼があったり、他にもいくつか声かけをいただきました。そうしているうちに、「私、やっぱりカフェをやりたい!」という気持ちが強くなり、Facebookで発信しました。10年前くらいですね。それを目にしたワイルドツリーの裕子ちゃんが、私の想いを掬ってくれて”
 

当時、伊那ICの近くで、ミツロウキャンドルとナチュラルコスメのお店「ワイルドツリー」を営んでいた平賀裕子さんは、通り町商店街沿いにある現在の店舗への移転を計画していた。「一緒に、空間をシェアしてやらない?」、裕子さんのその言葉で、敏江さんは具体的に動き出せたという。
 

2013年3月のワイルドツリー新店舗オープンから2ヶ月後、Cafe たねは誕生した。大工経験もある博さんが、店内のカフェスペースのカウンターなどの改装を手掛けた。当初は、敏江さんがひとりで料理もサービスも担当していたが、この頃にはすでに、「いつか2人で一緒にカフェをやりたい」、そんな気持ちが夫婦ともに芽生えていた。
 

地元の農家さんの野菜など、つながりがある人の食材をなるべく使うスタイルは、オープン当初から今も変わらない

 

敏江さん
“ワイルドツリーのお客さんがCafe たねを利用してくれたり。お客さんが少ない曜日があれば、裕子ちゃんがワイルドツリーで主催していた「ベビーマッサージ」に、希望する方にはたねの食事ができるようにしてくれたり。もう本当に、様々な場面で助けてもらいました。あ、裕子ちゃんとの出会いは、ヒナタヤの中村美紀さんから「アロマキャンドル」のワークショップに誘ってもらって、つなげてもらったところからでした”
 

敏江さんの記憶は、いつも誰かとの出来事に紐づいている。「色々すぐ忘れちゃう笑」と笑い、年月に紐づく出来事は曖昧でも、「誰かが何かをしてくれた」「この人がこの人をつなげてくれた」と、人に紐づく記憶は鮮明だ。
 

 

 
「カフェは手段で、自分の思っているものを表現する場所」
博さんと敏江さんの表現がつまった場所が生まれた
 

ワイルドツリーでお店をオープンして3年がたった頃。博さんと一緒にカフェをできるタイミングが訪れた。「そろそろ一緒にできそうだな」と、敏江さんは直感で感じていた。そして、2人でお店をするにあたって、新店舗を探しはじめる。
 

敏江さん
 “でも、ワイルドツリーから離れたくなかったから。近くでいい場所がないかなと探していたんです。そしたら裕子ちゃんが、この場所が空いているって教えてくれました”
 

何十年も続く、みんなから愛されているうどん屋の「立花屋」さんがあった場所。今は亡くなってしまった立花屋のご主人が、「好きなようにやりなさい」って、快く場所を貸してくれることになった。
 

大工経験、電気工事の資格をフル活用して、博さんがお店の改装を担当。敏江さんが描いていたイメージや、お世話になっている方々が大切にストックしていた窓枠や材などを提供してもらい、2人らしい空間が生み出された。
 

草草舎の島るり子さんが、改装時に手持ちの材を提供してくれた。その一つである窓枠。島さんには改装中も、ごはんを差し入れてもらったりとお世話になったそう

 

意外にも、料理はあまり得意じゃないという敏江さん。ワイルドツリーで実際にカフェをやるとなった初日に、「私、これから得意でない食事の支度をずっとやるという事なのだなー!!」とその時はじめて気づいたんだと笑う。
 

敏江さん
“やってみて思うのは、私はカフェは手段で、自分の思っているものを表現する場所なんだなと気づいたんです。例えば、店内やスイーツプレートに飾っている野の花は、自分には欠かせない一部で。道すがらの河原で少し摘ませていただいたり”
 

メニューには、地元農家さんの野菜やジュース、地元の「焼き菓子工房 えんむ」さんの焼き菓子を選んで。ギャラリーや店内には、地元作家さんの作品を飾って。博さんと敏江さんが培ってきたつながりを感じ、表現がつまった場所なんだと思う。
 

 
 
「商店街を色々な人に歩いてもらえるように」
まちの人と重ねてきた8年間、朝マルシェという日常
 

Cafe たねを取り巻く物語のなかで外せないのが、通り町商店街の人や近隣の店主や賛同してくれる仲間達と8年間続けてきた「朝マルシェ」。商店街の真ん中くらいにあるセントラルパークで、例年6月から10月の時期に月1回開催されている。
 

博さん
“「日常的にある朝市みたいなマルシェができるといいんじゃないか」、当初朝マルシェの仲間たちとはそんな話をしていました”
 

敏江さん
“商店街を歩いてほしい、地域の人たちと一緒に何かしたい、そんな想いが根本にありました。最初からのメンバーには、裕子ちゃんとか、チプカとプクチカの純ちゃんとかもいて。通常の営業があるなか準備もあるし大変なんだけど、みんなとの関係性があるから楽しい。でも大変なことは大変なんだけど(笑)  一度その日がきてお客さんとやりとりしていると、「あー、やってよかったな」って、その繰り返しでした”
 

 
 

最初は、商店街の人を巻き込むことにも気が引けていたという。大変さもあるし、出店してもらったとしてお客さんが絶対くるとは限らない。ココンダさんにオムレツを、一富士さんにコロッケを出してくれるようにお願いしたり、オ・ルージュかぐやさんの雑貨を預かったり、内山金物店さんからフライパンを借りたり。
 

いなっせの広場で小さく始めた朝マルシェ。不安に感じながらも、仲間とともに、ひとつひとつの物事や想いを小さく積み重ねていくうちに、「参加したい」と、逆に声をかけてもらえるようになった。
 

まちの人々と重ねた想いは、まちの日常として地域に根付いた。
 

 

 
「ここで過ごした時間は、すごく愛しい時間だった」

自分たちの人生のステージを見据えて、その先へ

 
なぜいま、夫婦は移転を決めたのか。
 

敏江さん
“2人でお店を初めて、料理は私がやって、博はコーヒーを淹れたり、私を手伝ってくれたり。でもそれだけじゃ、すごくもったいないなと思っていました。博は、色々なことが出来る人なんですよ”
 

博さんの才能を生かしたいと思っていた敏江さん。そこで、夫婦で考えて始めたのが、古い家具を博さんが手入れして売るリペアの仕事。丁寧に手入れした家具は、人々に受け入れられ、売れるようになった。
 


 

リペアの仕事が軌道に乗ってくると、住居が手狭に感じるようになっていた。そんな時、コロナ禍へと突入してしまう。経費削減を考えなければいけない状況で、交通経費についても改めて考えるようになっていた。片道30分以上かかる通勤時間も加味すると、カフェ、ギャラリー、博さんの工房、お客様の駐車場、住まいをひとつの場所に集約したいという想いが強くなっていった。
 

伊那市で物件を探し始めたが、なかなか見つからない。
「もう、一生見つからないんだな」
 

諦めかけた時に、ふと目にした塩尻の物件に直感を覚えた。見学にいったのはこの6月のこと。夫婦が理想として描いていた条件にぴったりだった。「資金計画を進め、算段がつくまでは、ごく近しい人に話すしかできなかった」と、急な発表になってしまったことを夫婦は申し訳なさそうにしていた。 

 

 

20年とゆう長きに渡って暮らした高遠町藤澤の集落。過疎が進む地域では、草刈りひとつとっても、ひとりひとりの役割が大きくて、すごく申し訳なさを感じたという。でも、集落の人は「いいんじゃない」って背中を押してくれたんだそう。
 

仲間たち、地域の人たち、お客さんたちからも、移転を名残惜しむ声がたくさん届いた。
 

敏江さん
“この地に来て、関係性を築いた人たちとの出会いは、どれだけ私を豊かにしてくれたか。あ、泣いちゃう(笑) 四角四面なところがすごく私にはあって、でも出会った人たちは真逆な考え方の人たちもいて。「それでいいんだ」って思わせてもらったことで、自分がすごく楽になったんです。「心に自由に思って生きていいんだよ」っということを教えてくれる人が、この地にはいました”
 

博さん
“人に恵まれていつも生きています”
 


 
 
博さん
“飲食業のなかで、うちなんてまだいい方だとは思うけど、忙しい時は動きっぱなしで1日が終わっていく。その分、休みの日の朝には、外でBGMを聴きながら、僕がコーヒーを淹れる時間を楽しんだりはしていました”
 

敏江さん
“この仕事を始めてから、身支度だけして、急いでこの場所に通っていました。おにぎりをかじりながら出勤したり、下手したら立ったまま朝食を食べたり。でも、私たちも歳だから、先のことを考えると、あとは死ぬのがもうそこら辺に見えていたりもするので、それまでの時間をすごく大切に過ごさなきゃと思っていて。そのためにも、場所を一箇所にまとめて、なるべく心地よい生活を目指したい。拡大していくとゆうよりは、縮小していくイメージなんです”
 


 

夫婦生活30年を超えた2人。長い時間の中では、2人の関係性だって紆余曲折を経てきたと笑い合う。「100万回くらい、気持ちの中では別れたかもれしれない(笑)」と、敏江さんはリップサービスのように口にしてくれたけど、博さんはすぐに「俺は、一度もないけどね」と微笑んだ。
 

 

 

まだまだ夫婦の物語は、続いていく。
塩尻での新店舗オープンが、本当に待ち遠しい。 
関係性を築いた人たちはまた、
きっと、2人に会いにいく。
 

「いってらっしゃーい」
 


 

 
<<<前編

 
写真: 久保田 里香 文: 田中 聡子

 

 
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