伊那谷ふぃーる

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伊那谷じゃーなる

ふるさとの記憶の記録 #1 -長谷-【前編】

長野県伊那谷の伊那市、南アルプスの麓にある小さな村「長谷」。ここで生まれ、暮らし、60年を過ごしてきた久保田文子さんは、表現活動としてふるさとを題材にした紙芝居も続けてきた。久保田さんの視点で綴るふるさとの記憶の記録。

美しい山 緑 
清らかな水に恵まれた 

入野谷の里 長谷
 

南アルプスに抱かれた里 長谷
手が届きそうなくらい 近い山並 
美しい大自然に囲まれた 長谷の里 
人々が自然と共存し 作り上げた 
文化と歴史が生きづく 里
 


 

そんな場所が、私の60年間暮らしてきたふるさと。長谷を離れたのは、東京での2年間の学生時代だけ。長谷の空気、長谷の水、長谷の恵みの中での暮らしは、何の心配もなく続いてきた。自然の中で遊びまわった子供の頃、青春時代、就職、子育て、趣味の紙芝居とその時々に、多くの人と達と出会い、学んだ。
 


 

私の人生を一緒に歩んだ “友” 紙芝居
ふるさと長谷の民話を掘り起こし、切り絵を紙芝居にして語り継ぐ活動を40年間重ねてきた。「語ることが好き、歌うことが好き、切り絵が好き」、それは前提にあるけれど、それだけで紙芝居を続けてきたわけではない。
 


 

長谷の中にある「伊那里」という地域は、民話「孝行猿」の発祥の地。狩りにあった親ざるを思う、子猿たちのけなげな行動を謳った物語。この民話は尋常小学校の修身にも取り上げられ、親から子どもへと世代を超えて、大切に伝承されたきた。
 

昭和41年、伊那里小学校(昭和51年閉校)に孝行猿のレリーフが建立された。小学校のPTAや村の人びと、子供たちの想いにより作られたレリーフの除幕式が行われたとき、私は伊那里小学校の3年生だった。多くの人びとが集まって、テレビ放送もされた除幕式。白い布が引かれ、大きな石にはめ込まれ、そこに刻まれた彫刻の絵。
 

親を生き返らせようと、二匹の猿の踏み台を上り、もう一匹の小さな猿が、囲炉裏につるされた親ざるの傷口を温める姿。子ども心に言いようもない感情が沸き立った。
 


 

レリーフの製作者は、彫刻家でもありアララギ派の歌人でもある藤澤古実先生。レリーフの中に三首の歌が刻まれていた。その年赴任された、沖村一美校長先生は、其の三首の歌に曲をつけ、今も長谷小学校の子供たちに歌い継がれる「孝行猿の歌」となった。その歌を何度も何度も歌った。少し悲しげなメロディーが私は好きだった。
 

「孝行猿の集会」の日。木造の体育館に子供たちの澄みきった声が響き渡る。私は、この歌を6年生まで毎年歌った。そんな幼い頃の「孝行猿」の記憶は決して忘れることはなく、私の脳裏に焼き付いている。後に、私は父から除幕式の翌日の話を聞いた。誰かが拓本をとろうと失敗して、レリーフが汚れていることに気が付いた父は、真っ黒になったレリーフを泣きながら拭いたという。そんな話を、聞いただけでとても胸が熱くなった。
 


 

やがて、私は進学し東京で2年の短大生活を送ることになった。父からのあたたかい手紙、母から届くふるさとの荷物。無償の愛に感謝する日々。伊那里小学校は廃校となったが、私はふるさとに迷いなく帰った。かつて、子供の姿で賑わった広い校庭に子どもの姿はなく、「孝行猿」のレリーフが「おかえりなさい」と私をむかえてくれた。
 

長谷村(伊那市に合併する前)では、校舎を利用して夏の間に都会から来る子供たちを受け入れるスクスクスクールが始まった。児童はいないけれど、また夏の間子供たちの声が聞こえる。子供たちは里山での体験を楽しんで帰っていく。だけど、孝行猿の民話を子供たちに語る人はいなかったと記憶している。校庭の隅にひっそり建つ、孝行猿のレリーフに誰か気が付いてくれたのだろうか。
 


 

そんな想いが、子供たちに「孝行猿」の民話を伝えたい!知ってほしい! とゆう気持ちにつながっていった。「そうだ、私一人でも出来る紙芝居を作って、子供たちに民話を伝えよう!」。そうして出来たのが 民話「孝行猿」の紙芝居。親から離れ長谷の地で数日間を過ごす子供達に、班が変わるたびに紙芝居を持って出かけた。都会に戻った子供たちから、感謝の気持ちや紙芝居の感動がつづられたたくさんの手紙が届く。親が子を、子が親を思う心や自然や人を愛する優しい心。子どもたちに伝えたい、そんな思いで作った紙芝居「孝行猿」。それが、私の紙芝居の原点。
 


 

一人で演じていた紙芝居も活動に賛同する仲間ができ、「糸ぐるまを回して糸を手繰るように、ふるさとの民話を未来につなげたい」と、紙芝居グループ「糸ぐるま」として活動することになった。紙芝居のレパートリも増え、小さかった紙芝居は、切り絵の大型紙芝居と進化してきた。
 

公演は遠く県外にでかけたこともある。見てくださる方が喜んでくれるのを肌で感じ、それが新しい紙芝居を作る原動力になった。1つの話を紙芝居に仕上げるのに2か月近くかかる。それは、家族の理解があってこそできたことだと感じている。紙芝居の公演に出向く中で、レリーフの製作者藤澤古実先生のご子孫にも合うことができた。紙芝居がめぐり合わせてくれた贈り物。
 

その土地土地で大切にされてきた伝説や民話は、ふるさとの宝物である。その宝物を紙芝居で届けることができたら、私は幸せ。私のそばには、いつも紙芝居がある。「もう少し、一緒にいましょう」
 


text&photo 久保田文子
1984年、紙芝居グループ「糸ぐるま」結成。まんが日本昔ばなし「孝行猿」「戸倉の大鷲」の製作に協力。1993年、長野県青少年育成県民会議主催のひまわりっ子カーニバル紙芝居コンクール優良賞受賞。公民館活動や社会福祉協議会、保育園、小中学校、高校など、年20回ほどの紙芝居・切り絵指導・語り講師などの公演を行う。
 

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